🌼信じるという事🌼

この頃よく思う事。。。

・・・信じ抜く力・・・

そんなことを考えていた時、テレビには芦田愛菜ちゃん。

もうマルモリ時代の、ランドセル姿のかわいい子役としてではなく、一人の女性として語っていました。

映画の試写会か何かで、「信じるとはどういうことか」と聞かれた時の返答が以下・・・

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

<出所;映画「星の子」の完成報告イベントより>

16歳でこんな風に考えることが出来るのですね。素晴らしい。

揺るがない心。。。
その人の見えなかった部分が見えた時、揺るがない自分を持つことがわたしに出来るかな。

愛菜ちゃんの言っていること、なんとなくわかるけど、凝り固まってしまった私の頭ではやっぱり、信じるというのは裏切られた時つらい、だから信じない。。。

みんな自分を守るために嘘をついたり裏切ったりするものです。

そんな風にしか考えることのできないわたしのココロはすさんでいます。
過去に何かあったのでしょうね。笑

自分を犠牲にしてまでも、誰かを守り抜き、幸せにしてあげられるような広い心を持っている人が世の中にどれくらいいるのだろう・・・

そして、そんな風に思われる自分になるにはどうしたらよいのだろう・・・

なんだか病んでいる人みたいになってしまいました(_)

ただ思うのは、裏切られるということは、
裏切った側から見た自分はそれだけの価値しかなかったってことなのだと思います。

そして

心から信じられる相手というのは、
この世のどこかに必ず存在していて、出会えることは決まっているのだと思います。

その相手に巡り逢えた時、お互いを想い合い、絆を深めていくからこそ、信じるという力が生まれるのだと私は思いました♪






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